中富良野の人

描く題材に事欠かない、心揺さぶられる場所

奥田 修一

奥田 修一 さん

東京都出身。画家への道を決意し、1987年に北海道へ移住。1995年に開館した、富良野風景画館(現在の北海道風景画館)の主宰として活動しています。

自然の中で暮らし、自然を描く

2月の中なかふは、一面真っ白な雪景色。取材日は「まだまだこれから」と言わんばかりに、雪が散らついていました。町の中心部から外れた静かな場所に、ひっそりと佇む北海道風景画館。さらにその建物の傍らには、同館を主宰する奥田修一さんの住居がありました。富良野の風景に惚れ込み28歳の頃、ただ絵を描きたいという一心で移住を決めた奥田さん。住み慣れない土地で、人知れぬ苦労もあったことでしょう。しかし迎えてくれた奥田さんの表情には一切の曇りがなく、まるで陽だまりのようなにこやかな笑顔が浮かんでいました。

 

地元の人々の厚意に助けられて

画家になるため、身一つでなかふへやって来た奥田さん。生活の目処が立たずにいた奥田さんに手を差し伸べてくれたのは、町の人々でした。取り壊されることが決まっていた旧中富良野町立奈江小学校を奥田さんが使用できるようにしてくれたのは、当時の教育委員会や地域住民たち。そのおかげで今の北海道風景画館があり、奥田さんは創作活動に没頭することができたと言います。「町の人たちは面倒見が良く、心が温かい。今もその気質は残っていると思います」。奥田さんの情熱が町民の心を動かしたことは疑いようもありません。しかしほかの土地でこれほど人情味あふれる出来事が起こっただろうか。見えない大きな力が、奥田さんをこの場所に連れて来たようにも感じます。

 

自然への敬意が創作意欲の源

自然に向き合い、その情景を描き続けてきた奥田さんはかつて「百年遅れの印象派」と称されたことも。それは作風だけでなく、奥田さんの創作スタイルにも通じています。激しい日差しが降り注ぐ日も、寒さに凍えそうな日であっても、キャンバスを抱えて屋外へ飛び出し、大地に足を踏みしめて絵を描く。不器用なまでに真っ直ぐで、昔ながらの画家のスタイル。そうして描いた作品だからこそ、描き手の内側の深い部分を覗いているような心に迫るものを感じます。「ここに来た当初は、人が働いて作り上げた畑のある景色が好きでした。今は好んで人の手のあまり入らない山を描いています。自然の大きな力を感じるたび、生かされていると実感するんです」。

 

創作意欲を刺激する「画家の庭」

2017年の4月末には、美術館の敷地内に新たな見どころが加わる予定。奥田さんが20年もの時間をかけて少しずつ手を入れてきた庭を、一般公開するのだそう。最初に目に入るのは、鯉がのびのびと泳ぐ池とマリア像のある池。アトリエや菜園を眺めながら坂道を上って行くと、奈江川のせせらぎが聞こえてきます。「葉擦れの木下道」と名づけた道の途中には、奥田さんが詠んだ歌が刻まれた板も。散策した後には、ウッドデッキでお茶を楽しむこともできます。「画家が作った庭って、面白いでしょ?」といたずらっ子のように微笑む奥田さん。静かな時間が流れる庭で過ごしながら、奥田さんの創作活動の源に触れることができる場所になることでしょう。

 

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